「休み山」という山がある。
火事や天災で巡行する事が不可能になった山だ。
「焼山」とも言う。
今日はそのひとつ、鷹山に行って来た。
応仁(1467年)以前から出していたが、元治元年(1864年)大火で焼失した山だ。
町の人が人形の首と手を持って逃げたので、そこだけ免れたらしい。
会所には、焼け溶けた鉦も飾られていた。
隆盛の頃は、囃子方も乗せた、かなり大きな山だったそうだ。
「鷹山は屋根がないんですよね?」と番のおじさんに聞くと
「それは文政9年(1826年)、大風雨で大破した時に飛んで行ったんちゃうか」と言っておられた。
なんちうか、数々の災難に遭った山ですのう。