おそらく、私がブルーになった原因は、
近頃読んでいるチェーホフの小説にもあると思う。
ここに登場する人達は押しなべて不幸だ。
人生に憂いている。
悩んで死んでしまったり、殺してしまったり、
耐えていたり、裏切ったりしている。
特に滋賀へ向かう電車の中で読んでいると、
いつもなら大自然に心はずむ風景が、
わびしい、田舎町に暮らす不自由な女性の気持ちになってしまった。
(滋賀の人、ごめんなさい)
ロシアの環境がこんな設定を生むのだろうか。
チェーホフが冷めた視点を持っているからだろうか。
嗚呼皆さん、ロシア文学に関わっている間は
私は少しアンニュイかもしれません。
温かく見守っていてくださいまし。