ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

どっどどどどうど

サハリンへ行った文人は、チェーホフだけではない。

金田一京助明治39年7月、昭和4年
柳田国男明治39年9月)
野口雨情(明治39年8月)
岩野泡鳴(明治42年6月)
山本有三明治44年夏)
三木露風大正8年
宮澤賢治大正12年8月)
北原白秋、吉植庄亮(大正14年8月)

樺太文学史」1巻 昭和61年より

宮澤賢治は教え子の就職依頼で1923年の夏に訪れている。
その前年11月に妹とし子を亡くした悲しみを抱えて、
青森からサハリンのあちこちで思いだしていたようだ。
紀行中に妹をからめた長い詩をいくつも作っているらしい。
そんな論文を読んだ。
 (http://ci.nii.ac.jp/naid/110005943924

さかのぼること33年前(1890年7月)に旅行したチェーホフのことも、
宮澤賢治は知っていたかもしれないって。
サハリンに渡る前年に書かれた「マサニエロ」という詩に

蘆の穂は赤い赤い
(ロシアだよ チェーホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろゆれろ
(ロシアだよ ロシアだよ)

という一節があるそうだ。
チェーホフ宮澤賢治
サハリンは、様々な文人を惹きつけるロマンの地なのかしら。

ここ2、3日で急激に寒さが増した。
風の又三郎がやってくると、ロシア気分も盛り上がるなぁ。