ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

ゴドーを待ちながら

1969年にノーベル文学賞を受賞した、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を改めて読了。

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木が一本しかない舞台で、二人の浮浪者がゴドーを待ち続けている。だが二人はゴドーに会ったことはない。待ちながら、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにもう二人別の人物が通りかかり、さらにとりとめのない会話と遊戯が続く。一日の終わり、少年がやってきて、ゴドーが今日は来ないと告げる。二人はもう一日待とう、明日ゴドーがこなければ首を吊ろう、という。同じことがまた翌日繰り返され、芝居はそこで終わる。(以上、Wikipediaより)

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1952年の初演時は、劇場の前でお客さんが「ものすごく面白かった」派と、「よく分からん」「異端だ」派に分かれて、喧嘩を始めたくらいの問題作だったらしい。

会話はすれ違っているけれど、動きはスラップスティック(ドタバタ喜劇)。

私が読んだところ、コメディ要素も強い。

 

この作品は、著作権の中でも同一性保持権で守られている。

同一性保持権は、「著作物及びその題号につき著作者の意に反して変更、切除その他の改変を禁止することができる権利」なので、ト書きに及ぶまで、一言一句たりとも改変は許されない。

 

登場人物は男5人。

2020年、これを女性5人で上演したい、と、日本の劇団がベケット財団に申請したが、上演許可が下りなかった。

 

男性役を演じる女性が、ダメな理由は?

同一性保持権は、性別も変えてはいけないの?

性の多様化の時代、何をもって男とするの?

 

登場人物のウラジーミルは老化による前立腺肥大の病気を患っている設定なので、よく尿意を覚えるし、思い切り笑うと痛みを感じる。歩き方も、チャップリン風。

この病気の悲哀を含めて、女性には表現できない、らしい。

それなら、生理不順や妊婦の役は男性には演じられないってこと?

氷川きよし紅白歌合戦で”白組”ではなく”特別出演”枠から出場する2022年からすると、ちょいとお堅い。

 

結局、その劇団ユニット美人は『ゴドーを待ちたかった』という新作を作った。

男でも女でもない、アンドロイドの話である。

ゴドーを待ちながら』の上演許可をひたすら待つ、という設定になった。

劇を上演するための苦労や、批評家達への皮肉、バージョンが古いコンピュータの悲哀、ウイルス感染、自分が作ったプログラムに著作物を踏みにじられるなど、面白いオマージュ作品になったと思う。

1952年の『ゴドーを待ちながら』の不条理なエッセンスは、2022年に受け継がれたんじゃないかな?

 

もうすぐ、グリーンバックに背景をつけた配信版が完成します。

チケットを持っている方、どうぞお楽しみに!