ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

木津温泉の謎のご老人

京丹後の旅で、謎のご老人に会ったことを書いておかねばならない。
彼は北近畿タンゴ鉄道木津温泉駅にいた。

「こっちの人間は、東京弁か鹿児島弁か、名古屋弁です」
と話しかけてきた。
「”京丹後”と言うけれど、この辺りは“山陰”地方 で、京都とは文化が違う」とおっしゃる。

リュックにビニールサンダルで、一見、山登りの方かと思ったけれど
「地元の人間です」とのこと。
京都大学の名誉教授のカードらしきものをチラッと見せてくれた。
研究者らしい。
「私が認めなければ、あなたは京丹後から出て行かねばならない。」
とおっしゃる。

そのうち、「天皇は、外人か否か?」と聞いてきた。
老人「答えよ。天皇は外人。イエスかノーか?」
歯がないのに、詰問する迫力はすごい。
「う~ん・・・、イエス
老人「半分当たり。ではどこから来たか?」
「韓国とか中国ですか?」
老人「ハズレ。百済から嫁いできた過去はあるが、外戚の話はこの際関係ない。週刊文春に載った秋篠宮談話はなんたらかんたら。内戚はどうや?」

めんどくさい人に当たってしまった。
でも雨が降ってきて、逃げる場所がない。

「え~?南国ですか?」
老人「ハズレ」
「ロシア?」
老人「なぜロシアか?」
「南国じゃないと言ったから」
老人「違う。緯度は変わらない」
「あのう、私、駅の足湯に浸かりたいんですけど」
老人「それなら浸かりなさい」

ご老人は切符も持っていないのに、改札を抜けてホームに入ってくる。
足湯は冷たかった。
私「冷たいです」
老人「この湯は外気に左右される。夏は50℃にもなるが、今は雨が降っているので低いのだ」
と言いながら、ご老人も足湯に浸かりだした。

足湯に浸かりながらも問答は続く。
京丹後は、天皇の縁の地なのだそうだ。
一の宮宮司さんは天皇を継承する資格を持っているとか。
そのご老人も縁があって、呼ばれて帰ってきたらしい。
だから「私が”出て行け”と言えば、京丹後から追放できる」そうだ。
そのための問答だとか。

老人「天皇はどこから来たか?」
私「モンゴル?トルコ?スペイン?」
老人「トルコは補欠の補欠の補欠」

私、12:15の電車に乗るんやけどなぁ。
ご老人は私の母の出身地を聞いて、とても喜んでいる。
徳島県の海部は京丹後と同じ血筋らしい。

そのうち私の年齢を聞いてくる。
老人「30代前半か?」
私「言えません」
老人「甥が35歳で独身だが、それより姉さん女房になるのか?」
私「そうですね」
老人「私は高校生の頃、筑波大学の医学部に飛び級させてやると言われたが、政略結婚がからんでいたので断った。君ならオッケーだ」
私「ありがとうございます」
なんでそちらに許可されねばならないのか。

私「ところで天皇さんはどこから来たんですか?」
老人「2番目にイラン。そこからペルシャに300年、中国に○○○年いて九州に渡り○○○年。京丹後を経た」
早口だったので記憶は曖昧だけど、数百年単位で移住しているらしい。
そんなの、日本人のルーツをたどれば大概そうじゃないのかなぁ?

私「天皇さんはイランから来たんですか?」
老人「いやそれは2番目」
私「もう電車が来るので教えてくださいよ」
老人「1番目は調べておくように。またあなたのところに現れるから。『丹後王国』など、文献は綾部に行けば手に入る。それでは」

と言って、ホームの端から田んぼに降りて行った。
稲穂の間にスーッと消えて行った。

不思議なご老人だ。
後から考えると楽しかった。
でもあの人と家族になったら、ずっと問答させられるんやろうなぁ。