ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

いま、祇園祭を見直し、読み直す

第53回藝能史研究會大会「いま、祇園祭を見直し、読み直す」を聴きに、同志社女子大学(純正館)へ。

10時20分から17時半まで、研究の発表が9本続いた。

1.近代京都における祇園祭橋弁慶山の運営基盤
―地域住民を中心とした地元資料のアーカイブとその活用に関する研究―(佐藤弘隆氏)
2.竹田聴洲祇園祭調査(斉藤利彦氏)
3.明治二十六年、山鉾は岡崎をめざす
―新出の「明治廿六年岡崎大極殿四回博覧会地鎮祭の時地かための為め引出せしの時の写真」の紹介をかねて―(八反裕太郎氏)
4.中近世における祇園会神輿をめぐる人々(西山剛氏)
5.神宝「勅板」と大政所の「とひくはり」(下坂守氏)
6.狂言に見る祇園会風流―「鬮罪人」を中心に―(稲田秀雄氏)
7.室町期祇園会のイメージについて(河内将芳氏)
8.月次祭礼図模本にみる祇園会風流の特異点泉万里氏)
9.山鉾風流の基盤としての京都「町人」(五島邦治氏)

コアな研究が目白押し。
祇園祭にふんわり触れて17年、そろそろ全体像が見えてきた私で、何とかついていけるくらい。

興味深かったのは2と9の研究。
2.の八反さんは岡崎に山鉾が勢ぞろいした写真がある、と発表した。
山鉾達が鴨川を超えて東へ行ったなんて!
それも、内国万国博覧会地鎮祭の地固めのため、なんて文化財になった今じゃ考えられない!
とすれば、だぞ?
平成女鉾が9月に岡崎に建立されるのは、123年ぶりの鉾再来になるのでは⁇

9.の五島先生の発表にあった「三条町人」の女松囃子風流の話も初耳だった。
1437年、女性の商業座(糸座、生魚座)の囃子があったとか。
ちょっとちょっと、女鉾清音会に似てるんじゃない⁇

聴講者がまた濃い。
神社仏閣、山鉾町、マスコミ、大学、カメラマン、在野の研究者・・・etc。

我慢できなくて、最後にいくつか質問させていただいた。
副会長がヒヤヒヤしている顔が見えた。