京都町内会バンドの春のツアーを聴きに、モダンタイムスへ。
いつもよりステージに近い席で楽しめた。
途中で、笹野みちるさんが、「キャラを演じる」ことについて話していた。
今はSNSでアカウントによってキャラクターを演じ分ける人もいるだろうけど
自分が中学高校の頃も、場によって演じていたなぁ、
今、あの頃に戻ったなら本物の自分で向き合えるんじゃないか、という話。
そう言えば私達が中学1年生の時、お嬢様言葉で話していたのをつるは覚えているかなぁ。
あいさつは「ごきげんよう」
会話も「~ですわ」など標準語だった。
あれも、キャラをみんなで合わせていたのだと思う。
私としては、私立の中学に入学して、新しい環境に放り込まれ、大阪弁でもなく京都弁でもない、皆がひとつ化けの皮をかぶった状況は、生きやすかったように思う。
とは言え、本当の自分だって、全然固まっていなかった。
傷つきやすく、流されやすく、やわやわな生き物だった。
何とかやり過ごした自分を偉いと思う。
今の私でも、戻りたくはない。
ただ、バルコニーや廊下で、大きな声で歌っていた時は、自由だった。
沸き起こる衝動。
あれが自分の原点だったんとちゃうかな。
ヘンテコなところが生まれて、成長できたのは学校生活のおかげかもしれない。
そして中学1年生の時の友達のヘンテコな歌を聴けている状況にも感謝やわ。