ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

喉仏様

訃報を受けて、母に付き添って横浜へ。

家族葬とは言え、御親戚が多くて、賑やかな葬儀。

ホールの方が「15分早めに開式します」と言う。

薄毛長髪、眼鏡にマスクのお導師様が、お経や資料をたくさん抱えて入場された。

「15分ほど、話して良いですか」

故人の戒名が立派だ、というお話。生前の名前は失念されたみたい。

マスクがずり落ちてきては、上げている。

(あ~このために15分繰り上げたんやな)と納得。

お経が始まると、抱えていた経典を広げて、マスクを顎にずらして「あ・あ・あ・あ~」「う~・う・う・う」と、うなり声。

次のお経は、劇団スティックもビックリの棒読み。

鐘をゴンゴン叩く。

浄土真宗大谷派は見慣れているはずだけど、癖が強いお坊さんだった。

 

葬場は石造りでモダンな、立派な建物だった。

オブジェもたくさん。上から吊り下げられた灯りもお洒落。

火葬される方の名前がデジタルで表示されて、機能的。

火葬中は、階上の会議室で、食事をいただける。

終了すると、その部屋に放送が流れるので、再び階下へ。

 

真っ白な骨になった仏様。

父の時は、焼場の方が、「ここが喉仏。ここが肩の骨、大腿骨。この方は骨がしっかり残ってる。病巣はこの辺やね」など解剖学の講義をした後、喉仏を骨壺に入れ、「ほら仏さんが座ってるみたいやろ」と解説してくれた。

最後の最後に父が褒められて、ちょっと嬉しかったことを覚えている。

こちらの作法は、有無を言わさず係の方がちり取りで集めて、上半身、下半身の箱に分けた。

その箱から、遺族が大きい骨を箸でつまんで骨壺に入れる。

そして全身分の骨を、余すことなく骨壺に収めて持ち帰る。

(関西では、主だった骨だけで、後は希望により焼場で処分してもらった)

 

係の方は、深く頭を下げる、とても丁寧なロングヘアの女性。

(この人は一日に何体くらいの骨を集めてるのかな?今日も帰って夜ご飯を食べるのかな?)と、色々想像してしまいました。

88歳米寿を迎え、孫に囲まれた思い出と共に、ご冥福をお祈りします。

我々は、日帰りでビューンと京都へ帰りました。