ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

命日に懺悔

1月31日は父の命日。

自分で言うのも僭越だが、父は私のファンだった。
父が家で呼ぶ名前は、たいがい「テツ」(猫の名前)か「チエ」。
テレビを観ながら、食卓を囲みながら、
「チエちゃん知ってるか?」と、面白い話を私に振ってくる。
妹の婚約者が挨拶に来た時も、
「お姉ちゃんがテレビに出た時な」と、私の話ばかりしていた。

ただ役者をすることには反対で、お芝居は2回しか観に来なかった。
それでも晩年は
「チエは劇うまいぞ~。この糸コンくらいうまい」
と、(一応)ほめてくれた。

父は、会社人間でもあった。
阪神大震災の時にも
「電車が止まって会社に行けません」と電話をかけてきた部下に向かって
「何としてでも出てこい」と、自分も無理矢理出勤していた。

その父が病院に入って心細かったことを、私はちゃんと分かってなかった。

冬の朝、自転車を漕いでいる時に電話が鳴ったけど、取らなかった。
父から「チエちゃん。来てくれや。頼むわ」とメッセージが入っていた。
でも病院に行かなかった。
先の見えない入院生活、そうチョクチョク行ってられない。
地震でも出勤した背中を見てきた娘。
きちんと出勤することが、父を喜ばせると思っていた。

結局、電話がかかってきたのはそれが最後。
そこから頭がぼやけて、電話もかけられない状態になってしまったのもある。

かなり悪くなってからは病室に泊まったり、
病院から出勤したりしたけれど
本当に一緒にいてあげなければならなかったのはあの時じゃなかったかな、と思っている。
ごめんね。父さん。

父の携帯電話の番号は私の電話にまだ登録されているけど、もうかかってくることはない。
かかってきたら、怖いけどね。