江戸時代末期から明治にかけて、越後で活躍した芸術家。
彫刻、絵画、寺の設計、書院障子など、点在する寺に見事な作品が残っている。
ツアーは朝9時半から16時半まで。
2週間に一度、10名以上集まったら催行されるらしい。
本日は25名の参加者で、大型バスを借り切って賑やかに。
ツアーは、三国街道塩沢宿→八海山龍谷寺→西福寺開山堂→道の駅 深雪の里で昼食→針倉山永林寺→湯沢瑞祥庵と、自力ではとうてい一日で回れないコース 9800円。
今回は特別に、開山堂が撮影OKだった。
いやぁ、迫力のある作品の数々。
道元禅師猛虎調伏の図。
道元が宋から帰国する前日に見つかった経を写経する図。
これらを一本の木から彫り上げるなんて、想像を絶する。
雲蝶さんは身長150cm、手も小さかったらしい。
この手と、燕三条の金物屋が提供する道具のおかげで、ここまで奥深く細工できたようだ。
龍谷寺では、仲の良い獅子の像の欄間があった。
自分の家族を想って作ったと、心温まる解説。
一方永林寺では、「目細、鼻高、桜色」の色っぽい天女が彫られていた。
どうやら単身赴任中に愛人ができたらしい。
刺激は芸術を生むのねぇ。
ガイドの中島すい子さんは、かなりの雲蝶研究者、というか、マニア。
雲蝶が居候していたお宅の子孫(お菊さん?)と茶飲み友達になって、位牌を納めている厨子を開ける許可をもらったとか
雲蝶の博打友達の子孫のお宅で、普段は見られない雲蝶作品を(10年に一度の虫干しがてらに)見せてもらったとか
ご自分も縁あって雲蝶作品を所蔵しているとか、バスの中でも楽しいお話。
最後に、行方不明の雲蝶作品を捜してほしい、と訴えておられた。
飾っていた家で、男子ばかりが亡くなるのを、この彫刻のせいにされて、持ち主が流転したらしい。最後に確認されたのは名古屋だとか。
もしご存知の方がいらしたら、”六日町観光協会”さんにご一報を。