ひめ日記3

日詰千栄の日々を綴ります。芝居のこと、祇園囃子のこと、京都のこと。

大きな古時計

大きなのっぽの古時計ならぬ
小さな薄い父の腕時計は、確かに止まったのだ。

父の存命中、ふと見ると父の腕でストップしていたのだ。
勤続30年、会社から送られた記念の時計。
(電池が切れたのかもしれない)と、母が外した。

その後の父は
お医者さんが「あと数時間です」と宣告したのに、持ち直した。
枕元で思い出話をしたり、髭を剃ったり
何日か和やかな時間が持てた。

あの日、電池を入れようと鞄から取り出した腕時計は、再び動いていた。
その時「容態が悪いので、すぐに病院に来て」と電話があった。

針が止まっていた間、父の時間はストップしていたのかもしれない。
神様のプレゼントだったのかなぁ。

今その時計は、私の腕におさまっている。
何事もなかったかのように、チクタク時を刻み続けている。

「時は金なり」ならぬ、「時は命なり」
今度この時計が止まったら、
その時は神様のプレゼントと思って、命がけで生きるぞ。